母国語並みに外国語が習得できるのはいつまで?

さて、前回、「生後6ヶ月から12ヶ月の間に、その言語に必要な音の差が聞き取れるようになり、不必要な音の差が聞き分けられなくなる」と書きましたが、

1) なぜそんな早い時期に変化が起こるのか

2) 何歳までだったらキャッチアップして母国語並みにその言語が話せるか

の2点について書きたいと思います。

  • 人間は言語習得能力をもって産まれてくる

広く信奉されている説に「人間は言語を習得するよう予めプログラムされて産まれてくる」というのがあります。

ノーム・チョムスキーという学者が1950年代に提唱した「人間は白紙で産まれてくるわけではなく、最初から文法のテンプレートを脳の中に持って誕生する」という革命的な学説がそれ。この「うまれつき文法テンプレート」は「普遍文法(universal grammar)」と呼ばれ、これがあるがゆえに人間は驚くべき短期間に言語能力を習得できる、とされています。

(そして、そのテンプレートはある年齢を過ぎると削除されてしまう模様。「言語は一つ覚えればそれでよろしい」ということでしょう。)

そしてさらに、人間は2世代あれば新しい言語を生み出すことができる、とも言われています。

ここでいう「言語」は文法体系を持ったものを指します。例えば、

「私はお母さんを好き」

「お母さんは私を好き」

は使われている単語は同一ですが、順番が違うだけで違う意味になります。これが、「私」「母」「好き」という単語の羅列だけではない、文法を持った言語です。

そして、親が単語だけの羅列の片言しか話さなくても、それを聞いて育つ子供たちは文法を編み出す、と力強く提唱したのがデレック・ビッカートン。いわく、

「異なる言語を話す移民が集まった場所では、簡易な相互コミュニケーションツールとしてのカタコトが誕生する。ただし、この時点では単語の羅列でしかなく言語とは呼べない。しかし、それを聞いて育った子どもたちは、文法のある複雑な言語を生み出す」

と*。

なお、余談ながらこの人、自説を実証するために

「6つの異なる言語を話す6組の夫婦を孤島に隔離、その子供たちがどのように言語を編み出していくか観察する」

というかなりファンキーな実験を提唱しました。しかし「倫理的に許されない」と却下。彼の説にはその後反論も多々あるのですが、これを受けご本人は「あの実験、誰かやってみて」と自伝で語っています

  • その言語に特有の「音」を聞く能力もテンプレート?

チョムスキーは主に「文法」という側面から言語を語っていますが、「音を聞く」という上でも同様の「テンプレート」があると考えられています。

前回、「言語特有の音の聞き分けができるようになるためには人間が語りかけないといけない」と書きましたが、どうもこの「人間が語りかける」ということを合図に、「これは言語」と脳が判断しているようです。そして、そこで聞く音が急速に整理されていく、と。

以下、言語で登場するLやRのような音を「音素」と呼びます。

聞き取りが出来るようになる、とは、つまり必要な音素の数だけ「バケツ」が脳内に置かれていくようなもの。

産まれてすぐ耳にする言葉は最初は広い地面に降る雨のようなもの。その言語にある音素も、無い音素も、同じように地面にしみこんでいける状態です。しかし、その中に、頻繁に登場する音素と、そうでない音素がある。

それを脳が統計的に処理して「この範囲の音は一つの音素、この範囲の音は別の音素」と判断し、それぞれの音のバケツを作っていく訳です。話す人によって声帯のサイズが違うので、同じ音素でも違いがありますし、前後の文脈によって微妙に違う発音をされることもあります。にもかかわらず、特定の幅に収まる音は一つの音素、という非常に高度な判断を脳が下し、それに即した「脳内バケツ」を作っていく訳です。

英語で育つ赤ちゃんの脳には「Rのバケツ」と「Lのバケツ」が別々に作られていきます。そして日本語で育つ赤ちゃんの脳には「らりるれろのバケツ」ができる、と。

そしてこうした「脳内バケツ作り」が言語に関連する音に関してだけ非常に早い時期に選択的に起こります。**

  • 自然な言語習得能力はいつまであるの?

かように、「言語能力は遺伝的にプログラム済み」とすると、ある時期を過ぎたら身に付かなくなる、というのも自然なことに感じられます。背が伸びるのが止まるように、ある年齢を過ぎたらもはやオシマイ、と。

ただし、チョムスキーの説には反対派もたくさんいます。世界の言語をコンピュータで解析すると類似点より相違点の方が多い、とか。

ですが、「ある年齢を過ぎると言語習得はすごく難しくなる」ということはまぎれも無い現実です。赤ちゃんのときは砂漠に水がしみ込むように言葉を覚えられるのに、大人になるとものすごく大変。

この「自然に言葉が習得できる年齢」のカットオフは、思春期前後=12−15歳頃と考えられており、17歳くらいが限界と考えられています。そして、このカットオフは「臨界期=critical period」***と呼ばれます。

1歳と17歳の間はどうなのか、というと7歳くらいまではほぼ母国語並みに習得可能で、その後17歳くらいまでの間にジワジワと能力が失われていく模様。ご興味のある方はこちらのTEDのスピーチのLanguage Exhibits a 'Critical Period'というスライドをご覧下さい。

ちなみに、私の周りには「子供の頃1−2年しか英語圏で生活をしていないのにネイティブ並みに英語が上手い人」という人たちが結構いるのですが、この人たちの特徴はその「1−2年」が10歳前後だった、ということ。たぶん、上述の

「言語習得能力が失われていくカーブ」

「経験を記憶できる能力が向上していくカーブ」

が最適なところで出会っているのが10歳くらいなのでは。

一方で、とあるアメリカ育ちの男性は、母親が日本人、父親がアメリカ人のハーフで、よちよち歩きくらいまでは日本語ができていたけれど、その後英語オンリーに。20歳頃になって、全く日本語ができない状態で日本に住んでみたところ、最初は全く何もわからなかったが、3ヵ月目のある日、突然周りの日本語が耳から飛び込んでくるようになり、その後一気呵成に上手になったと語っていました****。前回の「生後9ヵ月の時にその言語に触れるだけで、もしかしたらずっとその言語聴解能力が保たれるかも」という仮説を裏付けるような話ですね。

 

 

* オリバーサックスの「手話の世界へ」は、似たようなことを、手話を使う聾唖者を観察して語っています。手話がいかに豊かな文化を持った「言語」なのかに興味のある方には超オススメ。

**なお、「必要ない音の聞き分けができなくなる」のは、「言語に利用される音」に固有のことのようです。ですので、「これは
言語でない」と脳が判断した音に関しては、聞き分け能力が下がることはない模様。たとえば、アフリカには、「舌打ち」(チェッ、というあれです)を利用する言語がありますが、日本語や英語を含むほとんどの言語では「舌打ち」は言語ではないので「舌打ち」の聞き分け能力が低下することはありません。

***「臨界期」が存在するかどうかはまだ学会でも議論されており完全に確立したものではありません。「臨界期なんて無い!何歳になっても誰でも自然に母国語並みにペラペラに」なんていう方法が発見されると素晴らしいのですが。

****日本語だけで育った日本人が英語圏で暮らしても、こういう感じでどんどん英語が耳から飛び込んでくるようになる、と思っている人がたくさんいますが、そうは問屋がおろしません。

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